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浜野村(中世)


 戦国期に見える村名。遠江【とおとうみ】国城東【きとう】(城飼【きこう】)郡のうち。天文20年12月23日付の今川義元裁許判物に「遠州笠原庄村岡西方知行内浜野村後之砂地之事」とあり,村岡郷内の地であることがわかる(興津文書/県史料2)。同判物によれば,当地は今川氏の重臣興津氏の知行地であったが,「浜野村後之砂地」をめぐって村岡東方を領すると称する斎藤六郎衛門と興津氏との間でその開発分を中心に相論がおこっている。このような開発の進展による耕地拡大は新たな境相論の種となったが,同時に当村は浦としての機能をも有していた。それは永禄5年における今川氏真による浜野浦につながれた新船に対する諸役免許の判物(同前),あるいは永禄12年,徳川家康の小笠原清有への所領宛行状に「浜野村舟共」とあることによって知ることができる(小笠原文書/家康文書上)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7352344