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飽海神戸(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える神戸名。渥美郡のうち。建久3年8月日の伊勢大神宮神領注文に,「新神戸〈二宮〉去天慶3年依勅願被奉寄」と見え,その成立は古い(神宮雑書/鎌遺614)。大神宮諸雑事記では,天慶4年3(8か)月28日の官省符によるとある(神領考証)。天慶3年以前成立の神戸を本神戸というのに対し,この時施入の神戸を一般に新神戸といった。神宮雑例集に「本神戸廿戸〈号渥美神戸〉新神戸十戸〈号飽海神戸〉」と見え,飽海神戸と称した(豊橋市史5)。下って永正9年11月26日の内宮引付に,治承5年正月伊雑宮造営のため当地を源頼朝が寄進したとある(大日料9‐4)。また,鎌倉幕府成立とともに地頭が置かれたようだが,建久10年3月23日2代将軍源頼家は宿願と称して当地の地頭職を停止している(吾妻鏡)。「神鳳鈔」では見作17町7反とある。その後,文明13年11月9日の外宮引付によれば,伊勢神宮禰宜荒木田氏経は富田弾正に対して神役の送付を沙汰している(大日料8‐13)。それによると,絹1疋・糸4斤・造酒米2石・稲40束・紙90帖・瓶子20口が神役であった。おそらく滞納されていたのであろう。明応6年11月17日の安久美神戸神明社棟札銘などには新神戸郷が見える(豊橋市史5)。現在の豊橋市飽海町・今橋町・八町通1~5丁目などの中心部に比定される。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7354065