伊保郷(中世)

南北朝期~戦国期に見える郷名。加茂郡高橋荘のうち。貞和五年年中祭礼記に「伊保郷」と見え,神宮寺修理田があった(猿投神社文書/豊田市史6)。貞治3年上葺勧進帳断簡によれば,最も多額の2貫763文の勧進を行っている(同前)。応永18年正月11日中条詮秀が伊保郷内の16貫を猿投山護摩堂に寄進している(同前)。さらに同年2月16日の道元注文によれば,この16貫の地は法華名・たもみ・敷在の3か所に分かれていた(同前)。文明17年に猿投神社に寄進された般若心経3巻に「高橋庄伊保河角願主道幸禅門」とある(同前)。戦国期には,永正8年12月19日大津勝長が伊保郷内の土地を道場の敷地として寄進している(妙源寺文書/豊田市史6)。高橋荘地頭中条秀長は足利尊氏が将軍を辞任した頃地頭職を甥長秀の嫡男秀孝に伝領し,伊保郷を本所に5,000貫を領有したといい,上記の上葺勧進帳には「伊保御所」の名称も見える。所領5,000貫の範囲は上伊保・下伊保・伊保堂・篠原のいわゆる伊保郷一帯から外にも広がっていたようである。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7354689 |





