於田江保(中世)

南北朝期~室町期に見える保名尾張国春日部郡のうち東保・中保・西保・犬丸などに分かれていた文和2年8月23日の尾張国正税帳によると,「於田江東保」は尾張国衙領を管掌していた醍醐寺三宝院に対し「一貫文」の正税を納めていた(醍醐寺文書/一宮市史資料編6)しかし,応永4年正月日の尾張国(目代)光守注進状によれば,「於田江犬丸」の3貫文,「於田江中・西保」の35貫800文は既に「無沙汰」となっており,同年12月5日の尾張国在庁等注進状でもそれは確かめられる(同前)同6年の尾張国国衙正税未進注文によると,「於田江中・西保〈未進〉同(畠山基国)〈御知行〉」の36貫6文,「於田江東保〈二階堂 山城知行〉」の3貫600文などが未進となり,管領ら幕府要人の支配下に置かれている(同前)そして同9年5月28日の尾張国目代光守注進状によると斯波義重の被官「伊東」が「於田江中・西保」の給人となっている(同前)これは,応永の乱の戦功により尾張守護だった畠山氏が紀伊を与えられたため,その後に斯波氏が当国守護として入部するという政治的変動を反映するのであろう翌応永10年8月13日の尾張国国衙領守護方押領注文によると「於田江中・西保」の給人は妙心寺寿聖院庄主,「於田江東保」の給人は春部方となっている(同前)なお,年未詳10月2日の尾張国国衙荘当知行分注文に見える「おつたい中保」「同西保」「東保」はいずれも当保のことと考えられ,「かの」なる人物が知行している(同前)戦国期以降に見える小田井村および於田江荘との関係は不明また,比定地未詳

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7355624 |





