100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

川西手永(近世)


江戸期の手永名三河国碧海郡のうち岡崎藩の広域行政区画名の1つ手永名は矢作【やはぎ】川の西に位置したことに起因すると考えられる藩主水野氏の正徳・享保年間にその存在が確認される藩主本多中務大輔家の時期には,六手永の1つとなる天明8年の巡見使御尋之節答書控帳によれば,藩領の西部35か村(本村24・枝郷11),高1万1,868石余「岡崎藩万書上」では,寛政元年における所属村は東矢作・西矢作・筒針・上渡・下渡・東牧内・上佐々木・下佐々木・村高・川島・姫小川・小川・寺領・木戸・藤井・古新田・新新田・島・坂戸・小望・池端・西牧内・桑子・八・上条・山崎・高木・別郷・牧内新田・東別所・西別所・宇頭茶屋・尾崎・宇頭・田町分の35か村,高1万1,951石余,人数8,567,馬32,川船5大庄屋は,寛政年間には渡村の長島仁左衛門,文政年間には磯貝甚兵衛・佐々木村の太田清兵衛,天保年間には佐々木村の小河惣右衛門,文久年間以降は下佐々木村の太田伊兵衛が勤めている




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7356380