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中野高畑村(近世)


江戸期~明治11年の村名尾張国愛知郡のうち中野高畠村とも書く庄内川左岸の沖積平野に位置する尾張藩領大代官所支配村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに1,288石余,「旧高旧領」1,832石余寛永12年には曲渕八右衛門,同16年には杉崎清左衛門・長岡五左衛門の知行地があった(徳川林政史研究所蔵源敬様御黒印写)「寛文覚書」によれば,本田概高1,832石余・反別100町余(田88町余・畑11町余),家数71・人数387,馬11熱田【あつた】宿(宮宿)の助郷村地内南に高畑,南西に中野の集落がある東部を南北に笈瀬川が流れ,西から南にかけて村境沿いに古川(米野川)が流れる南に日置村の飛地があった(徳川林政史研究所蔵天保12年村絵図)「徇行記」によれば,高1,832石余のうち1,781石余が寺西忠四郎ら藩士29人の給知で,残り50石余が蔵入地となっているまた,家数92・人数390,馬4,「古来中野高畑村ハ大戸アリテ僮僕ヲツカフ者モ多クアリシカ,漸々ニ戸口衰耗シ,今ハ栄村大秋村中島村ヘ多ク掟作アリシトナリ,高畑ハ東西ニ分レ二組ナリ,中野ハ戸口少ク東西ノ組分モナシ」という同書によれば,中野と高畑とに集落が分かれている原因について,もと一続きの集落であったが,その間に南部から中島の集落が移転してきたため分かれたと記している神社は中野に八幡社,高畑に水野権現がある水野権現には神伝八雲琴が伝わるほかに白山社跡もある源行家の子孫中野源二は当村に住んでいたと伝えられる(徇行記)明治11年則武村の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7359510