藤江村(近世)

江戸期~明治9年の村名。知多郡のうち。尾張藩領。鳴海代官所支配。蔵入地。村高は,「寛文郷帳」487石余,「天保郷帳」512石余,「旧高旧領」798石余。「寛文覚書」によれば,本田概高657石余,田畑44町余,家数82・人数627,牛馬27。「徇行記」によれば,戸数278・人数1,096,馬5,塩浜3町余,塩屋15戸ほどがあり,塩は名古屋・津島・桑名辺りへ送り,また酒屋2戸,工匠5,6人,黒鍬3,4人ずつ出るとある。明治9年の戸籍簿によれば,大工6・宿屋4・質屋2・湯屋2・糸撚業4・綿打2・人力曳2・医者2とある。神社は,大永3年社殿再建の棟札がある藤井大明神のほか,愛宕社・天満社・八幡社・秋葉社・神明社・山神社・社宮司社などがある。寺は,天文19年創建と伝えられる曹洞宗乾坤院末寺安徳寺があった。明治6年当村と有脇村・生路村組合の反強学校を同寺に新設。同9年広田村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7360828 |