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船橋村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。中島郡のうち。尾張藩領。清洲代官所支配。村高は,「寛文郷帳」417石余,「天保郷帳」419石余,「旧高旧領」878石余。「寛文覚書」によれば,本田の概高876石余,田32町余・畑11町余,家数61・人数277,馬14。「徇行記」によれば,給知は588石余で高木八郎左衛門ら給人19,蔵入地287石余,ほかに享保11年縄入の新田2石余,家数50・人数209,馬3,東西6町52間・南北6町12間。俗謡に「稲葉やき餅,船橋だんご,起茶づけで水くさい」とうたわれ,焼餅を売る吉兵衛茶屋のあった稲葉宿,渡船場のあった起宿との中間に位置した。神社は,十二尊権現・四十八尊権現・権現。寺院は,観音堂と臨済宗安楽寺(観音寺)・薬師寺,真宗大谷派真成寺。安楽寺には,国重文で平安期に製作された木造十一面観音立像・木造阿弥陀如来座像・木造釈迦如来座像,県文化財の木造兜跋毘沙門天立像などがある。明治22年国分村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7360938