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六名(中世)


 室町期から見える地名。三河国額田【ぬかた】郡のうち。応永6年5月7日の管領畠山基国奉書案に「六名堤」が見え(佐々木文書/岡崎市史6),下和田郷用水にからんで六名に堤が築かれたため通水がかなわなくなったと佐々木浄高(京極高詮)が訴え出たのを受け,幕府は伏樋を通すことによって額田郡河下諸給人の不安を解消しようとした。これはそれまで六名付近から南流していた乙川を西流させ,矢作川本流に付け替える工事が行われたことを示す。応永32年10月15日の一色修理・成瀬某連署証状写に明大寺安心院の山境は「南ハ六名道さかい」とあり,明大寺から六名へ出て矢作川を渡河する道が古くから開けていた(信光明寺文書/同前)。文安5年8月15日の安心院釈迦如来座像台座墨書銘に「当国六名影山城主成瀬大蔵佐国平」と見え(安心院蔵/同前),六名の影山城に成瀬氏が居城し,戦国期には岡崎城の南の守りを固める必要から松平家臣団の集住が行われた。天文5年閏10月26日の岡崎奉行人連署証状に「六名之内天神崎之分」を上和田浄珠院の寺屋敷に末代寄進するとあり,六名の百姓9人と小代官1人がこれを承諾した請文が残る(浄珠院文書/同前)。翌6年3月12日に一時岡崎城主となった松平信孝も「六名天神居屋敷」の不入を認めて寄進した(同前)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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