和泉村(近世)

江戸期~明治22年の村名。伊勢国鈴鹿郡のうち。はじめ亀山藩領,元和元年幕府領,寛永13年からは再び亀山藩領。村高は,「文禄3年高帳」183石余,「慶安元年郷帳」187石余(うち田135石余・畑51石余),「元禄郷帳」187石余,「天保郷帳」「旧高旧領」277石余。元禄3年頃の家数26・人数145(うち男67・女78),牛10,馬5,本年貢のほかに茶桑銭2貫610匁・竹代150匁を上納し,また和泉川川越人足役が命ぜられている(亀城兎園記)。東海道が通り,和泉川には長さ70間の仮橋が架けられていた。明和5年の百姓一揆で,一揆側は和泉橋での投石により藩兵を撃退し,亀山城下へ向かっている。神社は牛頭天王社・八王寺社(川俣神社)があり,他に山神が2か所。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。物産は米・麦・菜種。同22年井田川村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7362838 |