大石(近代)

明治22年~昭和42年の大字名。はじめ大石村,昭和30年からは松阪市の大字。明治22年の戸数216・人口1,215,田38町8反・畑58町6反・山林331町1反(町村分合取調書)。明治期和歌山街道の整備が行われ,大正元年松阪~大石間を結ぶ松阪軽便鉄道が開通,同7年頃の大石~松阪間の運賃25銭,昭和39年頃は75円であった。昭和38年の利用者は延べ160万人。同39年経営不振により廃線となり,以後はバスが走る。世帯数・人口は,昭和12年269・1,195,同22年307・1,472,同37年278・1,216。農家数は昭和12年218,同37年142。昭和36年の収穫高は,米534石・麦216石・茶5,000貫・椎茸1,000貫・木炭2万4,000貫・牛乳150石・蜜柑6,000貫・蒟蒻芋2,000貫・甘藷2,000貫。同37年頃の当地の状況は,用水が不十分のため米の自給ができず,かわりに畑地が多く,茶・桑・芋を生産する。大石紬は明治初年には特産品として各地に紹介されたが,その後機械織りに押されて衰退した。また椎茸は上質で声価がある(大石地区民俗資料調査誌)。同42年大石町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7363292 |





