高木(近代)

明治22年~昭和42年の大字名。はじめ漕代村,昭和30年からは松阪市の大字。明治22年戸数75・人口403,総面積107町歩余,田68町歩余・畑10町歩(町村分合取調書)。同23年から機殿【はたどの】村の4大字は櫛田橋の下から共同用水路を引き四郷井普通水利組合を結成していたが,同27年の大旱魃に際し組合側は水路の途中にある当地の引用の停止を申し入れ,当地は応じず訴訟となった。同37年櫛田川氾濫により小作紛議発生。同41年無限責任高木購買組合を設立,肥料・農業資材・生活必需品の共同購入や積立てを行い,昭和初期まで福祉に貢献した(漕代郷土誌)。大正2年小型造船業・牛馬商・薬屋・菓子商各1があった。同4年の反別は田64町余・畑14町余。昭和2年の世帯数64・人口399。同8年の専業農家数64,米作付反別64町余で1,839石余の収穫(同前)。同30年の世帯数66・人口411,専業農家数50。同42年高木町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7365706 |





