滝村(近世)

江戸期~明治22年の村名。伊賀国伊賀郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,「宗国史」263石余,明和年間頃の平高は377石余(伊賀考),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに275石余。家数・人数は寛延年間頃に62・391(宗国史),明治5年には50・218(青山町史)。川沿いの低平地から周辺山麓にかけて田畑を開き,米・麦・雑穀を産し,農間には薪炭製造を副業とした。集落は木津川北岸の山麓部に立地。幕末期に諦乗弘因が寺子屋を開設(名賀郡史)。鎮守は熊野三所神社,寺院は真言宗豊山派滝仙寺がある。同寺は天正7年に焼失した七仏薬師院跡に同10年法印宥海が開基したと伝え,鎌倉期の絹本著色大威徳明王像と如意輪観音画像・金銅製五鈷杵を所蔵する。これらは大和国牛ケ峯の岩屋寺で修行した宥海が同寺に持ち帰ったものといい,境内には観応2年銘の石造九重塔,延徳3年銘の石造五輪塔がある。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同8年妙楽寺村との共立で滝学校を開設,同15年上津学校の分校となり,同20年廃校。明治12年伊勢地・下川原・北山・勝地・妙楽寺の5か村と組合を編成,伊勢地村に連合戸長役場を置いた。明治9年の田24町余・畑6町余・宅地2町余・山林225町余,同16年の戸数54・人口273,うち男134・女139(村地誌取調上申書)。同22年上津【こうづ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7365758 |





