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三田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。阿拝郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,天和年間頃の本高781石余・平高1,902石余(統集懐録),「天保郷帳」880石余,「旧高旧領」862石余。村内は東三田村・西三田村に分かれていた。寛延年間頃の東三田村の家数126・人数487,馬36,西三田村の家数66・人数272,馬11(宗国史)。寺院は,東三田村に天台真盛宗空鉢山西盛寺・常光寺,西三田村に臨済宗東福寺派慈雲山三田寺・法華宗愛宕山法華寺・浄土宗天象山瑞竜寺があり,常光寺は明治初年に廃寺となった。鎮守は,西三田村に素盞嗚命・戸隠神を祀る八雲神社がある。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。明治4年の伊賀農民騒動では庄屋本城宅が打ちこわされた(伊賀大騒動記)。廃寺となった常光寺に三田学校を開設,同9年に校舎を新築。明治8年の戸数147・人口651,牛63(村地誌取調上申書)。同21年の田99町4反余・畑19町8反余(町村制実施取調上申書)。米が主産で粟や蔬菜が栽培されていたが,次第に養蚕が盛んとなり副収入の大半を占めた。同22年三田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7367833