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長浜町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。坂田郡のうち。慶長11年内藤信成が入部し,城下町を整備。「家忠日記」慶長11年11月28日の条に「内藤豊前守信成に江州長浜の城を賜わる」とある。内藤氏が摂津高槻【たかつき】に転封後,元和元年彦根藩領となり幕末に至る。「寛永高帳」によれば,彦根藩領245石余,他に天正19年秀吉が屋敷年貢を免除した朱印地300石。「輿地志略」には,「三屋村・瀬田村の中間にあり。三屋・瀬田ともに町続にしてすべて長浜町という。五十二町あり」と見え,大手・大谷市場・横・西本【にしほん】・東本・神戸【ごうど】・南伊部・北伊部・三津屋【みつや】・北出・東北【ひがしきた】・中北・西北【にしきた】・郡上片原【ぐじようかたはら】・袋・郡上・東魚屋【ひがしうおや】・中魚屋・西魚屋・鍛冶【かじ】・知善院【ちぜいん】・上呉服【かみごふく】・中呉服・下呉服・北片原・中片原・南片原・上船【かみふな】・下船・小船・船片原・中鞴【なかたたら】・南新・稲荷【いなり】・十一【じゆういち】・上田・中田・下田・紺屋【こんや】・箕浦・瀬田・大安寺・横浜・八幡【やわた】・片・金屋新・宮・北浦・金屋・十軒・東御堂前・西御堂前の町名を記す。秀吉時代に町づくりに協力した吉川左衛門ら三年寄十人衆の子孫が代々町政に参与し,各町には町代が置かれた。元禄8年の戸数1,084・人口4,723(大洞弁財天祠堂金寄進帳)。天保9年は1,280・4,960(長浜記)。長浜は北国街道の宿駅であり,その港は水陸交通の要地で彦根藩内の彦根・米原【まいばら】と並ぶ要港の1つであった。このため商業をはじめ,縮緬・蚊帳などの産業が発達し,「輿地志略」は「諸役御免,三百石の御朱印地甚繁昌の処也」と記している。その経済力の発展により,12基の曳山が出る八幡神社の祭礼が,盛大に行われた。寺社は,知善院・妙法寺・大通寺・福勝寺・福田寺・光台寺・正安寺と八幡社(輿地志略)。明治5年滋賀県に所属。同13年の戸数1,526・人口5,966,うち704戸が商業に従事,主に縮緬・蚊帳の仲買や呉服店・日常物資の販売店を経営した。429戸が工業,191戸が農業に従事。農業の副業は養蚕・製糸・縮緬など。特産として縮緬・絹縮・奉書紬等があり,その製造軒数は,蚊帳4・縮緬24・絹縮26・奉書紬9・鋳梵鐘2,繭・生糸・熨斗糸・キビソ各32・桑苗10である。漁業ではコイ・フナ・ナマズ・マス・ウナギ・雑魚・カモ等がとれた。蒸汽船3・大船15・葉船131を擁し湖上交通の要地であった(物産誌)。同12年には,江戸期の各町が統合,また周辺地域の村が一部町域に編入され29か町が成立。明治4年長浜郵便局開設。同9年警部出張所開設,大津警察所の出張所で,同10年長浜警察署となる。同15年長浜駅が開設し,同年北陸本線長浜~越前金ケ崎開通,同16年長浜~美濃関ケ原開通。同年長浜停車場に電信局が設置された(坂田郡志)。同22年市制町村制のもとで29か町が統合し,新たに長浜町が成立した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7371686