三上藩(近世)

江戸期の藩名譜代・小藩藩主遠藤氏はもと美濃郡上【ぐじよう】で2万4,000石を領していたが,元禄5年に常久が7歳で没し,後継ぎがないために所領を収公,のち綱吉の側室瑞春院お伝の方の妹の子白須胤親をして再興させ,常陸【ひたち】・下野【しもつけ】の両国で1万石を与えられた元禄11年,胤親が近江移封となり,野洲【やす】郡三上に陣屋をおいて立藩したその所領は滋賀・甲賀・野洲・栗太【くりた】の4郡内で1万石であった遠藤氏の在封は胤親のあと4代にわたったが,天保4年には滋賀・野洲2郡内の領地のうち12か村を和泉【いずみ】国日根【ひね】郡内に,のち近江・和泉・遠江3国内の領地のうち7,000石余を和泉国泉,安房国安房・平の3郡に移された遠藤氏は参勤交代を行わない定府大名で,歴代藩主の中には大番頭や二条・大坂在番をつとめた者も多いとりわけ胤統【たねのり】は,天保8年の大塩平八郎の乱に大坂城玉造口【たまつくりぐち】定番として城の防禦に当たったまた,天保13年の農民一揆の際には,たまたま検地奉行の駐在地であったため,一揆の収拾に苦慮した江戸城での詰席は菊之間で,江戸上屋敷は芝将監橋【しばしようげんばし】,下屋敷は牛込【うしごめ】若宮にあった(藩名便覧)明治元年,安房国内の領地5,120石が上総国望陀【もうだ】郡に移され,同3年には藩庁を和泉国吉見に移し,吉見藩と改称,同4年大津県となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7372675 |





