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竹野郡


慶長5年12月,細川忠興が豊前中津へ転封,京極高知が丹後5郡12万3,200石を拝領した。慶長7年検地が実施され,丹後5郡で村数292・小村数106・高12万3,175石,竹野郡は村数37・小村数29・高1万9,565石余とされた。この年の郷村帳で,木津荘は,なお荘名を近世地名に遺存した。元和8年,丹後は宮津藩・田辺藩・峰山藩の3藩に分かれたが,この時,竹野郡は,すべて宮津藩に属した。宮津藩は,寛文6年京極氏除封後,譜代大名の更迭が繰り返され,永井氏時代,延宝3年には竹野郡64村・1万5,730石余が,阿部氏時代,天和元年には同じく69村・2万4,465石余が,奥平氏時代,宝永2年には同じく71村・2万4,797石余および拝領後改出新田19石余が,青山氏時代には(年不詳)同じく7村・4,163石余および73石余が,本庄氏時代,宝暦9年には同じく22村・1万3,318石余が宮津藩に属した。また,宝暦13年~天保6年の間,当郡のうち9村・2,752石余が但馬出石藩に属したことがあるが(御料所旧記付録),その余の時期,その余の地域は幕府領に属した。これよりさき延宝8年宮津藩永井氏改易の後,幕府による検地が行われ全体で約3割の増石をみたが,当郡の宮津藩域64村分もその対象とされた。そののちは幕末に至るまで,顕著な石高変化はみられない。郡全体の村数・石高は,元禄12年郷帳で77村・2万5,017石余,天保5年郷帳で73村・2万5,250石余,明治元年旧高旧領で76村・2万5,223石余。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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