金田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。八上郡のうち。はじめ堺の周辺部として堺奉行支配,のち代官支配となるが,延宝6年までは堺付の村として年貢を堺に運んだ(堺市史続編1)。その後一部は元禄元年旗本秋元氏知行,宝永元年武蔵川越藩秋元氏領,明和4年出羽山形藩秋元氏領,弘化2年からは上野館林藩秋元氏領となる。天正11年8月朔日豊臣秀吉は福島正則に地内のうち1,718石余を与えている(福島文書/大日料11-4)。検地は延宝5年に行われている。村高は,河内国輯録で2,906石余,「天保郷帳」3,236石余,「旧高旧領」では3,239石余。寺院は浄土真宗仏光寺派仏源寺・光念寺・西光寺・長光寺,真言律宗観音寺,融通念仏宗金林寺,浄土真宗大派光照寺・蓮開寺などがある。神社は牛頭天王・住吉大明神・山王権現の3神を祀る神社があり,境内に宮寺がある。池には幸田池・長池・中田池・小督池・九頭神池・森池・蓮池・松池・堂が池・寺池・菅池・唐戸池・半田池・山花池・窪田池があり,長曽根村との立会池として蟻池がある(金田村庄屋手鑑/堺市史続編4)。ほかに用水は狭山池大樋筋を利用し,慶長17年7月14日の水割符帳(田中家文書/狭山町史)によれば「同(七月)十八日卯ノ頭より十九日巳ノ下刻迄 拾五時分」の給水を受けていた。光念寺には住職を塾長とする善学処という私塾が設けられていた。地内を東西に竹之内街道と富田林【とんだばやし】街道が通る。明治9年の人口1,756。同14年大阪府に所属。同22年金岡村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7382256 |