砂村(近世)

江戸期~明治22年の村名。讃良郡のうち。須奈村とも書いた。江戸初期に北野村が岡山村・砂村(砂東村・砂西村)に分村して成立したと伝える。砂東村と砂西村は1つの環濠集落を形成。寛永10年幕府領,同11年大坂町奉行役知,元禄3年幕府領(寛政5年~天保11年摂津高槻【たかつき】藩預り地),文久2年からは京都守護職役知。村高は,河内国輯録では東砂・西砂として347石余・213石余,「天保郷帳」では砂東村・砂西村として村高は変わらず,「旧高旧領」561石余。文禄3年の「人見ぱうろ写本キリシタン暦」3月10日条(高槻発見切支丹文書)には「砂之衆」のキリシタン記事が見えるが,本文書は検討を要する。また「徳川実紀」元和元年5月5日条には「御所は須奈に御着陣」と見え,大坂夏の陣に際し徳川秀忠が当村付近の丘陵に陣を置いたことが記されている。集落の中央部西寄りを南北に貫く河内街道を境界として砂東村・砂西村に分かれていた。寛延4年の砂岡山三ケ村田並帳によれば砂東村・砂西村はそれぞれ庄屋・年寄・百姓代を選出し,署名する独立村落であったが,1村としての連帯感は強かったものと思われる。明治4年砂東村と砂西村が合併して砂村となる。同9年の人口482。同14年大阪府に所属。同15年の「砂村誌」によれば,明治9年の戸数117,牛5,田50町2反余・畑2町余・宅地3町1反余・竹林8畝余,物産は米・麦・綿・菜種・搾油(四条畷市史2)。明治22年甲可村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7383962 |





