丹波国

慶長3年の検地目録に見える当国の総石高は26万3,887石,このうち同年の蔵納目録による豊臣氏蔵入地は5万5,174石(大日本租税志)。同5年の関ケ原合戦の戦後処理を経て,同13~15年にかけては西国諸大名を動員した篠山・亀山両城の築城・改築が行われるなど,山陰道の要害にあたる当国の豊臣体制から徳川体制への転換が進められた。江戸期に入ると当国は,畿内5か国・近江・播磨とともに上方8か国の1つ,享保7年以降は山城・近江・大和・丹波4か国の1つとして把握され,京都所司代(のち京都町奉行)の広域行政支配の下に置かれた。国内には,亀山(亀岡)藩・篠山【ささやま】藩・福知山藩の譜代3藩と,園部藩小出氏・綾部藩九鬼氏・山家【やまが】藩谷氏・柏原【かいばら】藩織田氏の外様4藩の計7藩が立藩。譜代3藩は激しい領主交替を見たが,亀山藩は寛延元年松平信岑,篠山藩は同年青山忠朝,福知山藩は寛文9年朽木稙昌の入封を以て定着した。「正保郷帳」による当国の総石高は28万9,829石,このうち先の7藩領は22万7,337石と過半を占め,残余は摂津三田【さんだ】藩九鬼氏領など諸藩飛地と20数名の旗本知行地,公家領・寺社領で,幕府領も見える。その後の石高および村数は,「元禄郷帳」で29万3,445石余・902か村,「天保郷帳」で32万4,136石余・880か村。所領構成は基本的には変わらないが,それまで山城国内に限定されていた禁裏御料が宝永2年の増御料1万石付与に際して桑田郡内に若干設定され,摂津高槻藩など譜代藩領飛地が増加傾向を示した。「毛吹草」は江戸初期の当国特産品を数多く掲げるが,桑田郡山国・黒田の材木が特に名高い。また摂津灘地方への百日酒造出稼は丹波杜氏として有名。江戸中期以降,国内各藩は専売制による増徴策を志向したが,これに対し,享保19年福知山藩領で年貢減免とともに産物会所の廃止を要求した強訴をはじめ,幕末に近づくにつれ打毀しを伴う激しい闘争が展開された。慶応4年西園寺公望を総督とする山陰道鎮撫軍が進駐,郷士弓箭組・山国隊の参加を見るなかで諸藩は新政府に帰順していった。明治4年多紀・氷上・天田の北3郡は豊岡県,桑田・船井・何鹿の南3郡は京都府に分割された。この際,旧高槻県に属した桑田郡各村は一時期大阪府に編入されたのち京都府に所属。これにより現在の高槻市域の一部は京都府桑田郡内となった。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7384444 |





