沼村(近世)

江戸期~明治22年の村名。河内国志紀郡のうち。はじめ幕府領,享保15年大坂城代土岐氏領,同19年京都所司代土岐氏領,寛保2年からは上野沼田藩土岐氏領。村高は,河内国輯録によれば450石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに435石余。宝永元年の大和川付替えで,反別5町余・高80石余が河川敷となり潰地となった。「河内名所図会」には「沼村の南瓜は,永享寛正日録に曰く,慈照院相国これを祖廟に進む。上品とす。其状腹大にして,熟すれば色赤く,肉軟かなり」とあり,古くからカボチャが名産であった。鎮守は宝殿神社。寺院は浄土真宗本派西念寺。明治9年の人口475。同14年大阪府に所属。同22年太田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7385365 |





