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東成郡


慶長10年摂津国絵図には「六万千八十石欠郡内東成分 河内国御帳入」とあり(地域史研究10-1),元和2年頃の領有関係を示す摂津高改帳では6万8,821石余と見える。これらの石高には住吉郡分が含まれていると思われる。摂津高改帳の総郡高のうち,3万4,709石余が元和5年まで大坂城に在城した松平忠明領,1万6,926石余が高台院領,7,593石余が幕府領,残余は大和竜田藩片桐氏領・住吉社領など。正保年間の当郡の石高は3万2,714石余(摂州村々高書写)。このうち3万1,536石余が幕府領,残りは社寺領。その後所領構成はやや錯綜化したが,大坂城の隣接地であったため,代官支配地・大坂城代役知がつねに大きな比重を占めた。「元禄郷帳」では村数57か村・石高3万5,772石余。農産物は米・麦・綿・菜種・蔬菜が中心。酒造業・絞油業をはじめとする加工業も盛んに展開された。平野川には柏原船が,旧大和川には剣先船が上下し,物資の輸送にあたった。宝永元年の大和川付替工事により,当郡においても旧川床に新喜多【しぎた】新田・布屋新田・左専道新田が開発された。その後の村数・石高は「天保郷帳」で62か村・3万6,632石余,「旧高旧領」では61か村・3万6,699石余。明治4年廃藩置県により,当郡はすべて大阪府に属した。同6年市郡境界の調整が行われ,大阪東大組の8か町と同南大組の7か町とが当郡に編入されて西玉造村が生まれた。このとき当郡の村数は62か村。同8年大阪府は大区小区制を施行し,当郡は第5大区となって3小区に分割された。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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