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福田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。和泉国大鳥郡のうち。寛文12年陶器藩領,元禄9年幕府領,宝永2年旗本小出氏知行。村高は,貞享検地826石余,文政4年の泉河御領内明細書49石余,「天保郷帳」837石余,「旧高旧領」838石余。水利が悪いため井戸灌漑を主とした畑作の商品作物栽培が多く,綿・大豆・琉球芋などが作られた。開発者氏家氏の統領権が強く,当初は,藩収入と統領徳分とが半ばするほどであったが,それは陶器藩が内高としていたためでもあり,小出氏断絶後の代官支配や,表高施入後の旗本小出氏復帰に伴い,氏家氏の統領徳分は後退したが明治8年まで存続した。文政4年の戸口は332戸・1,395人。西山・中村・西村・北庄の字地がある。東部を西高野街道が通る。村内の高野山真言宗興源寺は,陶器聖堂中九か寺の1つで,開発統領氏家次郎兵衛の木像が残る。字西村に浄土真宗大派願成寺,融通念仏宗無量庵,字北庄に浄土真宗本派円乗寺がある。字愛宕に式内社の火雷神社(明治41年上之の陶荒田神社に合祀)がある。同10年警察分署を設置。明治初期頃から木綿織にかわって製糖業が盛んになり,同12年には白下糖200樽を産した。同14年大阪府に所属。同22年東陶器村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7386022