山代郷(古代)

奈良期~平安期に見える郷名。河内国石川郡のうち。山城郷とも書く。天平勝宝2年3月23日付の勘籍によれば,「山代伊美吉大村」の養老5年籍に,「山代郷戸主従六位上山代伊美吉真作戸口」と見える(正倉院丹裏古文書/大日古編年25)。山代忌寸真作墓誌には,「自軽天皇御世以来至于四継仕奉之人河内国石川郡山代郷従六位上山代忌寸真作」と見え,当郷を本貫としていた真作は,文武・元明・元正・聖武4天皇に仕え,神亀5年に逝去している(奈良国立博物館所蔵/羽曳野市史)。そのほか,年月日不詳の勘籍にも「養老五年籍 所貫山代郷戸主山代忌寸国依」と見え(正倉院丹裏古文書/大日古編年25),郷名は,山代氏が当郷を本拠地としていたことによると考えられる。山代忌寸一族は,当郷のほかにも郡内の紺口郷などに居住しているが,当郷の支配的地位を占める有力氏族と推定される(羽曳野市史)。平安期には,承安2年3月18日付の佐伯景弘持経者注進状に「慈定房 応覚〈十二部 同(河内)国 石川郡山城郷定福寺〉」とある(新編諸宗教総録裏文書/平遺5055)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7386901 |