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奥畑村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長7年八上藩領,同13年からは篠山藩領。慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳はこの地域の村高について畑奥村800石,畑里村1,173石,青畠村587石余,青畠奥村78石余と記す。村高は,「丹波国郷帳」216石余うち田185石余・畑30石余,天明3年高附帳216石余,「丹波志」611石余,「天保郷帳」960石余。「丹波志」では火打岩【ひうちわん】村・丸山村・瀬利村を当村の支村と記す。天明3年高附帳による家数39,人数男103・女95。曹洞宗神護山太寧寺は,開山本寺3世惟忠和尚,開基は細川持春が父満国の菩提のため嘉吉3年起工し,文安2年竣工という。松泉院は弘治年間開創と伝え,修験宗岩松山満願寺は開山重尊法師,明徳年間の開創という。明治22年畑村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7389047