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昆陽(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ稲野村,昭和15年からは伊丹【いたみ】市の大字。稲野村役場が字市場に置かれた。明治24年猪名野小学校が稲野小学校と改められ,南野の習成,新田中野の致道の2小学校を併合した。同年の戸数247,人口は男475・女523。昭和4年西国街道を走る阪神急行電鉄バス石橋線および昆陽伊丹線が開業。同14年住友電気工業が広大な土地を購入し,同16年に伊丹製作所の操業を開始。昭和13年私立阪神商業学校が当地に置かれたが,同24年市立高校商業科となる。昭和22年西中学校開校。同37年大日電線(同39年大日日本電線,現三菱電線工業)伊丹工場設立。昆陽池は昭和35・36年に住友系15社によって3分の1が埋め立てられ,社宅と総合グラウンドが建設されたが,残る部分が自然公園として整備された。同49年摂陽小学校・労働福祉会館・総合福祉センター開設。世帯数・人口は,大正9年227・1,073,昭和25年1,112・5,285,同50年1,943・7,131。一部が昭和26年昆陽泉町1~5丁目,同28年松ケ丘1~4丁目,同30年鈴原町1~7丁目,同41年美鈴町1~5丁目・広畑1~6丁目,同42年鈴原町1~8丁目,同44年瑞ケ丘1~5丁目・瑞穂町1~6丁目・瑞原1~3丁目,同47年千僧1~6丁目,同48年昆陽1~8丁目,同52年中野西1~4丁目・中野東1~3丁目,同54年西野1~8丁目,同55年寺本1~6丁目・奥畑1~5丁目,同56年昆陽池1~3丁目・昆陽北1~2丁目・池尻1~7丁目となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7391180