サイト(中世)
鎌倉期から見える地名。播磨国加東郡吉田本荘のうち。文永2年11月3日の住吉神領杣山四至并造替諸役差定書に,摂津国大川瀬の西限を「サイト(西戸)ノ一マツ」とし,また,東条の村として,「東条サイト(西戸)」とある(大川瀬住吉神社文書)。大仏殿の鐘の鋳造に関して芥田氏を統領と仰ぐ,慶長19年4月16日付の播磨国鋳物師連判状に「さいど村久左衛門」が署名しているので(芥田文書/姫路市史資料編1),東条金屋は当地の鋳物師と考えられる。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7391257 |