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羽束郷(古代)


平安期に見える郷名「和名抄」摂津国有馬郡五郷の1つ訓は「波都加之」古くは「はつかし」,下って「はつか」とも見える郷域は羽束川に沿う高平谷を中心とする地域で,現在の三田【さんだ】市川原・田中から下槻瀬・木器【こうずき】に至る旧高平村一帯に比定される天平3年の年紀を持つ住吉大社神代記に河辺郡為奈山(坂根山)の北界として「限北公田并羽束国堺」とある(住吉神社所蔵/平遺補1)「延喜式」兵庫寮によれば「摂津国有馬郡羽束工戸役十五日」と見え,当地の工戸については課役は15日と少なく(一般は50日限度),庸のみ免除して(一般は調庸ともに免除),絶戸のあった場合はその口分田の賃租で工戸の食糧に充てることと規定しているまた,「新撰姓氏録」には摂津国皇別に羽束首,同国神別に羽束を載せる当郷はまた,歌枕の地としても古来著名で,「和泉式部集」に「かぎりありてはつかのさとに住む人は今日かあすかと世をもなげかじ」,「土御門院御集」に「津の国のなにはかくれぬ弓はりのはつかの山に残る月かけ」があるまた,「新古今集」巻16には大江匡房の歌として「頼綱朝臣,つのくにはつかといふ所に侍ける時,つかはしける」の詞書とともに「秋はつるはつかの山のさびしきに有明の月を誰とみるらん」が収められているなお,「古事談」巻2では但馬守隆方が「摂津国羽束師之内六瀬云所」に葬られたとある




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7395062