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福居村(近世)


江戸期~明治9年の村名播磨国印南【いなみ】郡のうち天川中流の東,中播丘陵の南麓「元禄郷帳」には古くは別所村と注記され,元禄年間までに同村が改称して成立なお,ほかに福居新村も元禄年間までに成立している姫路藩領福居組(西牧組)に属す村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに787石余集落は山陽道沿いに発達米作を主とし,灌漑用水は主に天川により,段丘上は市川から分水する花田井と溜池で灌漑する庄屋は代々原家が世襲,先祖は小寺氏の家臣で御着城落城後当地に住み着いたといい,藩主本多氏の時,大塩・志方両荘内20か村の大庄屋に任じられた文化8年から明治初年まで医師横田氏が漢学の横田塾を開く村内の寺子屋は八杉次郎が算術,原治左衛門と三木善太郎がそれぞれ習字を教えた(増訂印南郡誌)鎮守は山王大権現,初め北宿・小林の両村とで加茂明神を村の東で祀っていたが,応永年間頃分離して現在地に創建慶応4年日吉大神(日吉神社)と改称雨請神として信仰され,雨乞神社とも鰻の宮ともいう(県神社誌)寺院は曹洞宗安養寺,寺領5石,同末寺に実際院がある浄土真宗本願寺派宝量寺は宝永7年の建立明治5年双福小学校設立,同9年北宿・小林・佐土・佐土新との5村組合立で校舎を新築し五群小学校と称する同9年別所村の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7395785