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武庫郡


当郡の大部分が豊臣氏蔵入地で,関ケ原の戦後は豊臣秀頼(大坂藩)領となる。一部は文禄4年から茨木(大阪府)城主片桐且元領となっている。慶長10年摂津国絵図によれば,当郡の村数47・高1万7,357石余。大坂の陣後当郡の大部分は幕府領となり,これらは元和3年尼崎藩領となる。「摂津高改帳」によれば,元和2年頃の当郡は高1万5,979石余,うち幕府領1万3,299石余。「摂州村々高書写」によって正保年間頃の領有をみると,42か村・1万6,216石余,うち尼崎藩領1万3,308石余・幕府領534石余など。寛文4年尼崎藩主青山氏の分家(旗本青山3氏,のち元禄7年から4氏)領が成立したが,これらの知行地は尼崎藩のうちの分知として施政は藩主が代行した。「元禄郷帳」では,48か村・2万409石余。宝永8年尼崎藩主交替に際して同藩領の一部が幕府領となり,次いで延享4年篠山【ささやま】藩領が加わり,さらに天和6年西宮町を中心に上知が行われ幕府領となる。江戸中期以降は複雑な所領関係を呈する。このため,村界の争いや水論・山論が多発した。「天保郷帳」では,50か村・2万3,571石余,「旧高旧領」では,49か村・2万3,754石余。武庫川の治水は豊臣時代に始まり,江戸前期には武庫川筋に連続堤が完成し,新田開発が進んだ。江戸中期以降は特に武庫川・枝川下流域に新田開発が行われた。菜種・綿などの商品作物の生産が盛ん。一方,寛文・延宝年間から沿岸部で江戸積みを中心とする酒造業が発達,西宮地域は西宮郷,今津地域は今津郷としてそれぞれ灘五郷に属した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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