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碇村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。吉野郡のうち。幕府領。村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに58石余,延宝検地を経て「元禄郷帳」「天保郷帳」ではともに71石余。近世初頭に林業が始まり,気候と土壌に恵まれて良質の杉を産出した。元禄年間頃から清酒用樽材の需要が増加し,享保年間以降には山元でも樽丸が生産され,吉野杉の名声が高まった。伐り出された材木は吉野川を利用して和歌山へ流送されたが,このため吉野川の浚渫が逐年進められ,寛文年間~延宝年間頃には当地に到達した。支流井光川の浚渫は明治4~9年に行われた。もっとも筏の通るのは約1.5kmほどであった(吉野林業全書)。延宝検地帳では,畑4町余,楮・漆・茶畑2町余,屋敷3反余,明和年間の本百姓40軒・水呑12軒,男135人・女125人(吉野林業史料集成)。明治8年観音寺に和田小学校の分校が開設され,翌9年独立して碇小学校となり,同15年村総堂をかねて校舎を新築した。同年頃には,税地は田3反余・畑7町余・宅地1町余・山林750町余・藪3反余,戸数49・人口218(男117,女101),牛1,物産は杉檜材など2,000床・樽丸500丸・製茶350斤,社寺は井光神社とその末社3社,曹洞宗観音寺(町村誌集)。同22年川上村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7397878