100辞書・辞典一括検索

JLogos

39

佐保(古代~


 大和期から見える地名。添上郡のうち。①佐保。兄沙本毘古王にそそのかされた妹の垂仁妃沙本毘売は,天皇が毘売の膝を枕に昼寝したすきをうかがって刺し殺そうとしたが,涙が天皇の顔に落ちて果たさず,天皇はその時「沙本」の方から暴雨が降って来て,自分の顔に注ぎ,蛇が首にまつわる夢を見て,沙本毘古の反乱を予見したという(古事記垂仁段)。「大雨狭穂より発り来て面を濡す」とも見える(垂仁紀5年10月己卯条)。なお垂仁天皇の皇子伊許婆夜和気王は「沙本穴太部之別」の祖とされる(古事記垂仁段)。また物部麁鹿火大連の娘影媛の歌に「妻隠る小佐保を過ぎ」と詠まれる(武烈即位前紀)。継体朝に太子勾大兄皇子(のちの安閑天皇)の妃春日皇女は子がなく,その名を伝えるために「匝布屯倉」を賜ったとある(継体紀8年正月条)。「万葉集」には「佐保の内」(949・1827・2221・2677)と詠まれるなど多数の歌が見える。特に左大臣長屋は「佐保の宅」(1519・1638)に住み,「懐風藻」に「宝宅」(68)・「作宝楼」(69)とある文人たちのサロンともなっていた。「長王宅」では宴席で多数の詩歌が作られている。奈良時代前期と推定される長屋王家出土木簡に「佐保解 進生薑弐拾根」「額田児君 和銅八年八月十一日付川瀬造麻呂」と墨書したものがある(平城宮木簡概報21)。「万葉集」によれば,長屋王は「佐保」をすぎ平城山越えにかかると,山上で馬を留め旅の安全を祈り寧楽の手向に幣を奉ったという(300)。また安都年足は「佐保渡り 吾家の上に」(663)と詠み,大伴坂上郎女の「佐保の宅」(721題詞・979題詞・1447)も見える。坂上郎女の父安麻呂は「佐保大納言」(126題詞・528左注・532題詞・649左注)と称され,その妻石川郎女も「佐保大伴の大家」(518題詞)と見える。また「今昔物語」巻22第2話に「二郎ノ大臣ノ北家微妙栄給テ,山階寺ノ西ニ佐保殿ト云フハ,此ノ大臣ノ御家也」とあり,佐保殿は藤原房前の邸宅で,代々北家の氏長者が興福寺の供養の時に利用し,殿内に房前の肖像が安置され,長者は庭からその肖像を拝した後,殿に上ったという。佐保殿は現在の奈良市佐保田町に比定される(寺社雑事記文明10年10月17日条)。なお天平宝字2年9月17日後金剛般若経料雑物収納帳(正倉院文書/大日古編年14)に「十七日収納薪九束〈自佐保来使田守〉」などと見え,薪が佐保から運ばれていた。現在の奈良市法蓮町のうち佐保山町・法蓮町・佐保田町などを中心とする地域。佐保山は阿保山・奈保山を含む佐保川北方に広がる丘陵地帯の総称。現在の奈良市佐保山町を中心とする。文武天皇夫人藤原宮子,聖武天皇,光明皇后および元明天皇・元正天皇の陵墓所在地。佐保川は春日奥山の渓流を合わせ北流,若草山・飯盛山の背後を廻って佐保の里(佐保の内)に出る。東大寺門前を流れる吉城川を合わせ,佐保丘陵の南方,平城京二条大路の北方ぞいに西流,二条三坊付近で南西流して羅城門近くに至り,能登川・岩井川,堀川(秋篠川)を合わせて南下し初瀬川に入る。②佐保道。「万葉集」巻8の大伴坂上郎女の歌に「わが背子が見らむ佐保道」(1432),同巻20に智努女王が卒した後,円方女王が悲しみ作る歌として「夕霧に千鳥の鳴きし佐保路」(4477)と詠まれる。天平勝宝8年6月9日東大寺山堺四至図(荘園絵図聚影)に,「佐保路門」が見え,現在の東大寺転害門に相当する。同門は平城京左京一条大路の東端に西面して建立されており,西方の眉間寺・法華寺に達するこの大路が佐保路と称されたことが知られる。平安期には「佐保大路」とも称された(保阪潤治氏所蔵長暦元年12月8日王某田地売券/平遺574)。なお東大寺四至図(日本荘園絵図聚影3)には,寺域を示した十堺のうち,三堺に「佐保寺道」が記され,北辺に佐保川に沿って道が描かれている。③佐保内里。「万葉集」巻17に大伴家持が弟の書持の死を哀傷した歌として「佐保のうちの里を行き過ぎ」(3957)と詠まれ,その分注には「佐保山に火葬せり。かれに佐保の内の里を行き過ぎといへり」とある。単に「佐保の内」(949・1827・2221・2677)とも見える。内の語義については,佐保川の流れに抱かれる一帯を示し,佐保の河内の意とする説,内裏近くを特に内と称したとする説などがある(万葉集事典)。④佐保邑。「東大寺要録」巻第4諸院章第4所引の日本感霊録に平安初期の官人従五位下三島島継は「倭州添上県佐保邑」の人と見える。⑤佐保里。鎌倉期の永仁2年3月日付東大寺大仏灯油料田注文(東大寺文書/鎌遺18517)に「二段〈河上,字俵田〉……在添上郡京東一条二佐保里卅五坪」とある。この比定地は未詳であるが,現在の奈良市川上町西部にあたると考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7399792