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新町村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。宇智郡のうち。慶長10年二見五條藩主松倉重政が城下町建設のため二見村のうちに町割を行い,寛文年間~元禄年間に二見村から分村し,同村の枝郷となる。はじめ二見五條藩領,元和2年幕府領,同5年郡山藩領,延宝7年からは幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに24石余。慶長15年地子免許となり,元和9年新町村屋敷割帳では西町31軒・中町42軒・東町22軒。はじめ市は西町と東町に立ったが,寛永8年からは中町だけに立つようになった。享保6年当時の市日は12日と22日であった。宿場町として発展し,和歌山藩主の本陣も置かれ,旅籠や商家が軒を並べた。町並みは東西に続き南側6町6間,北側5町5間,南北30間半とされていた。また,紀州の橋本との間の水運もさかんで,新町は4艘の船を持ち,2か所の船着場があった。享保6年の常設店舗数は,酒商売8・鉄砲薬商売2・質屋2・魚屋2。明治元年の職業は,酒造稼と糀3・油絞肥類4・味噌醤油造りと糀4・質屋26・古手古鉄古道具売買68・菜種類売買26・荒物諸紙類48・瀬戸物4・白木綿晒木綿26・実綿繰綿とまき綿カセ糸29・干楮売買3・小間物類7・鋳物打物類3・青物干物8・仏之香具10・諸魚売買12・履物類11・氷豆腐仕込方4・旅籠屋3・煮売屋9・魚鳥獣類7・豆腐屋4・在方廻り小商内12・米雑穀22・呉服太物唐物23・塗師職3・鍛冶職5・木綿曝3・大工職3・樽屋4・綿打職10・荷樽7・仲仕15。元禄8年の三勝・半七の心中を戯曲に仕上げた「艶容女舞衣」は,新町の晒木綿問屋出身の赤根屋半七と大坂の遊女美濃屋三勝が主人公。現在本町2丁目に「赤根屋半七宅址」の石碑が立つ。地内に高野山真言宗西方寺があり,境内に二見城主松倉重政の頌徳碑が立つ。明治7年筒新舎創立,生徒76,同8年新町小学校となったが,同9年五條小学校に合併。「町村誌集」によれば,明治15年頃の幅員は東西5町余・南北32間余,税地は宅地2町余・畑荒地3反余の合計2町余,戸数190・人口695(男344・女351),日本形船4,荷車1・人力車1,物産は線香・傘・下駄・酒・醤油・鮎,民業は商業134戸・工業6,ほかは農商兼業。明治22年五條町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7400214