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辻村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。平群【へぐり】郡のうち。はじめ竜田藩領,寛永16年郡山藩領,延宝7年からは旗本松平(藤井)氏知行。村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」いずれも228石余。延宝7年松平氏の陣屋が当村に置かれた。松平氏は,北田原村・南田原村・小明村・辻村・俵口村・谷田村・有里村・萩原村・小瀬村・小平尾村と菜畑村の一部合計11か村5,000石を支配した。陣屋は生駒陣屋・矢野代官所と称し,豪農矢野氏の屋敷を利用したもので村の東の山すそ,一条街道の北側に位置し,広さ6反余。当初は江戸から派遣した家臣に知行地の支配を行わせていたが,のちには矢野氏を筆頭に地元の庄屋級の有力者のうちから取り立てた地役人に支配を委ねるようになった。宝暦3年村鑑明細帳には,「当村ハ山方ニテ水損ハ余リ無御座候,尤旱之節ハ余程之障リ御座候」とあり,また「暑寒共ニ強,東ニ山覆陰向成所ニ而御座候,尤土地ハ赤土砂交リ之土地」として,家数35(高持24・無高11)・人数162(男78・女84),出家2(山崎村安養寺隠居)・尼1,牛9・馬3,塩茶塩肴などの売人1,農間には「当村之百姓野菜丈等其所ニ作りし物を以平生相賄申候,男女とも作間之稼ハ縄莚仕申候,女ハ縄莚之間ニハ苧稼など仕候」として,「市場郡山エ縄莚売ニ出申候,則諸品調物御座候得バ郡山ニテ相調申候」とある。山崎・谷田・俵口・辻・小明の5か村立会山と辻・小明の2か村立会山,小明村への出作山2か所,溜池12か所,郷蔵1か所,庄屋給米2石,年寄給米5斗,除地藤兵衛居屋敷1町歩,辻堂1,観音堂があり境内に鎮守・庵を有したとある。安永3年村鑑によれば田畑面積15町2反余うち田11町1反余・畑4町余,毛付高191石余,土免5ツ3分,新開高1斗4升。慶応4年正月いわゆる矢野騒動が発生,同20日には小瀬村の宮大工棟梁与平が11か村のからかさ連判状を携えて長州藩大坂陣屋へ赴き矢野代官らの悪政ぶりを訴えた。翌21日には領民約500人が生駒神社に結集して長州藩の使者を迎えた。同藩士の付添いのもと代官所に押し寄せて包囲した。その結果陣屋は明け渡され,矢野父子は家財没収のうえ軟禁となり,24日には陣屋の表門に「長州下陣」の掛札が掲げられるに至った。神社は稲荷社・鎮守社。ほかに観音堂があった。明治15年頃の村況は,税地66町8反余うち田20町5反余・畑1町3反余・宅地8反余・山林44町1反余,戸数26・人口151(男66・女85),牛21,物産は米265石3斗・麦21石・小豆2斗・菜種12石・薪50駄・藁莚112枚(町村誌集)。同22年北生駒村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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