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布留(古代)


 大和期から見える地名。①布留。石上神宮の別名として用いられることが多く,履中天皇は即位前,住吉仲皇子によって難波高津宮にあった宮殿を焼かれた後,しばらく石上の振神宮に居住したと伝承される(履中即位前紀)。顕宗天皇は伊予来目部小楯に対して「石の上 振の神榲 本伐り 未截ひ」と詠んでいる(顕宗即位前紀)。さらに天平2年の大倭国正税帳(正倉院文書/寧遺上)によると,振神戸の租稲3,813束のうち4束が祭神料に充てられ,「延喜式」神名上の山辺郡13座のうちに石上坐布留御魂神社が見える。武烈即位前紀には物部麁鹿火大連の娘影媛の歌に「石の上布留を過ぎて」と詠まれ,「万葉集」巻12にも「石上布留の高橋高々に」(2997)と歌われるなど,石上・布留・高橋などの地名が山辺の道に沿って詠み込まれている。布留の地名は「石の上布留の早稲田」(1353・1768)のように石上と連称されることが多い。「古今集」には,「石上ふるきみやこ」(144),「石上ふるのなかみち」(679)と詠まれ,「新古今集」にも「石上布留の早稲田」(171・993),「ふるの神杉」(581・660),「いそのかみ布留のの桜」(96)と歌われる。現在の天理市布留町付近に比定される。布留川は竜王山に源を発し,西流して初瀬【はせ】川に注ぐ。布留滝は布留川の上流,春日山断層崖の急斜面にかかる滝。布留山は布留の東方に比定される。②布留村。「姓氏録」大和国皇別布留宿禰条に,仁徳朝に布留努斯神社を「石上の御布留村の高庭の地」に遷したという伝承が見える。また「石上布留の里」(万葉集1787),「ふるの山里」(源氏物語),「布留ノ里」(長谷寺霊験記/続群27下)とも表記される。布留宿禰は,柿本朝臣と同祖で,その祖市川臣が仁徳朝に石上神宮の神主となり,斉明朝に至り物部首・神主首と号した。さらに「男,正五位上日向,天武天皇の御世,社の地の名に依りて,布留宿禰の姓に改む」と見える(姓氏録大和国皇別)。布留宿禰の旧氏姓は物部首で,天武天皇12年連姓を賜わり(天武紀12年9月丁未条),翌年に宿禰の姓を賜わっている(同前13年12月己卯条)。なお「万葉集」によると天平11年左大弁石上乙麿が土佐国へ配流される時詠んだ歌に「石の上布留の尊」(1019)と見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7402111