掖上(古代)

大和期から見える地名。神武朝に,「皇輿巡り幸す。因りて掖上の嗛間丘に登りまして,国の状を廻らし望みて」と見える(神武紀31年4月乙酉条)。「嗛間【ほほま】丘」は現在の御所市本馬の本馬山,またはその南の国見山に比定される(御所市史・書紀通証)。本馬は嗛間の転訛か(地名辞書)。また孝昭天皇は「葛城の掖上宮」(古事記孝昭段),「掖上池心宮」(孝昭紀元年7月条)に居住し,「掖上博多山上陵」に葬られたと伝承される(孝安紀38年8月己丑条・古事記孝昭段)。「延喜式」諸陵寮にも「掖上博多山上陵」として「掖上池心宮御宇孝昭天皇。在大和国葛上郡。兆域東西六町。南北六町。守戸五烟」と見える。博多山上陵は現御所市三室小字博多山に比定されている。ただし,孝昭天皇の実在は疑問とされている。さらに履中朝には天皇が両枝船を磐余市磯池に浮かべて遊宴した時,膳臣余磯が酒を献じた。すると桜花が杯に落入ったので物部長真胆連を遣わして桜花を求めさせたところ,「掖上室山」で得ることができたと見える(履中紀3年11月辛未条・姓氏録右京神別上若桜部造)。なお応神天皇14年に功智王と弓月王が来朝したので,大和の「朝津間の掖上の地」を賜いて居住させたとも伝承される(姓氏録山城国諸蕃秦忌寸)。「掖上池」(推古紀21年11月条),「腋上陂」(持統紀4年2月壬子条)は現在の御所市井戸(大和志)または同市池之内(地名辞書)に比定される。古代の掖上は現在の御所市御所を中心とする平坦部の総称で,葛城・賀茂・朝妻・室・博多・秋津洲などの地名と重なる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7402986 |





