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馬町(近世)


 江戸期~明治22年の町名。江戸期は新宮城下地方六町の1つ,明治8年からは新宮二十五か町村の1つとなる。城下を南北に通る往還の両側に位置する。和歌山藩新宮領。元和5年の水野氏入封後,城下町割が行われ,当町も城下のうち地方六町の1つとして成立したといい(新宮市史),「続風土記」には村方支配十一町の1つとして当町名が見える。正徳2年初野地からの出火で,初野地とともに266軒が焼失した(熊野年代記・熊野災害編年史)。同5年に当町に伝馬庄屋役所を置いて,その管理にあたらせた(熊野年譜)。公用書類を送達する際は村継ぎの法を用いたが,そのため町民などが毎日交代で伝馬所に詰め,常時人夫および馬匹を準備していたという。慶安年間に代官から達せられた村継ぎ御用状取扱の触書き(新宮市誌)によれば,御用状に2つ印のあるときは急ぎの御用,3つ印のあるときは火急の御用となり,当番がない場合は更に次の村に走り届けることになっていた。天明3年の新宮領村境里数人足賃銭に関する覚書(同前)によれば,公用で人夫を使役するときは,新宮より三輪崎までの1里余は人足1人につき銭30文,三輪崎より宇久井村までの34町余は人足1人につき銭23文であった。寺院は浄土宗鎮西派妙体寺・浄土真宗大谷派浄泉寺。のち別当屋敷にあった浄土真宗本願寺派長徳寺が当町に移転。明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数124,男215・女232。同8年新宮二十五か町村の1つとなり,総代1名を置く(新宮町郷土誌)。同22年新宮町新宮の一部となる。なお当地名はその後も通称名として残る。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7403522