衣奈(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ衣奈村,昭和30年からは由良町の大字。明治24年には東西7町余・南北3町余,戸数170,男502・女553,学校1,小船90。同44年戸数247・人口1,102。近世から引き継がれた網にハマチ大網・イワシ網・しばり網・焚入れ網(四艘張)があり,16軒の船頭家(網元)がそれぞれ組をつくって所有した。村人は網子としてこれら8統の網に,平均1統に40人ぐらいが所属して働き,歩合制によって漁獲の配当をうけた。昭和10年ごろ網労働者の不足のため,4統の網に整理された。海岸に露出した大島山の石灰石が明治の中ごろから採掘され,原石のまま大阪方面へ搬出された。また戸津井坂の石灰石も採掘される。「衣奈村郷土誌」には,明治末期には2か所の石灰製造所と4か所の鉱区がみられる。大島山鉱床は坂本石灰製造所として経営され,大正7年には紀州石灰会社,昭和14年日本石灰会社となり,第2次大戦後も県農協を販路として肥料用の石灰製造を続けるが,昭和48年閉鎖。戦後,日本窯業セメント・日本ライム工業などが進出し採石するが,長くは続かなかった。明治期から大島山の山すそを開いて柑橘の栽培が進められてきたが,大正15年,衣奈村内の有志で大島地区開墾が企画され,5年の歳月を経て昭和5年には14町余の耕地を開いた。昭和35年の世帯数274・人口1,307,田地30町余・果樹園35町余,農業従事家数151(専業農家25)のうち果樹栽培を収入の第一とする農家135,養鶏を第一とする農家7などとなっている。同40年の世帯数275うち農業76・漁業53・建設24・製造22・小売商20など。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7403563 |





