学文路村(近代)

明治22年~昭和29年の伊都郡の自治体名。学文路・向副【むかそい】・賢堂・清水・横座・南馬場・西畑の7か村が合併して成立。旧村名を継承した7大字を編成。村役場を清水に設置。明治24年には戸数1,147,男2,003・女2,053,学校5,小船20。大正5年の収繭高は春725石余・秋1,051石余(伊都郡誌)。明治34年紀和鉄道(国鉄和歌山線)の橋本~妙寺間開通,および大正14年南海鉄道(南海電鉄高野線)の高野下までの開通によって,高野街道を経て高野山へ登る参拝客が減り,街道筋がさびれた。昭和初期から始められた富有柿栽培がミカン栽培とともに伸び,市内一,二の果樹地帯に成長。明治42年戸数737・人口4,449,世帯数・人口は大正9年793・3,873,昭和10年782・3,770,同25年988・4,932。同30年1月1日橋本市の一部となり,村制時の7大字は同市の大字に継承。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7404031 |





