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西村(中世)


 鎌倉期から見える村名。那賀郡名手荘のうち。初見は弘長2年2月6日の公文源宗治田地売券で,名手荘江川村内の田1反を文信房に売り渡す際の条件として,今後この土地の権利が侵害された場合は「西村北垣内善徳田壱段」を代わりに与える旨が記されている(高野山文書/大日古1-3)。文永2年閏4月20日の大法師宗秀田地宛行状には,宗秀が年来の弟子能福に「西村之内」の田1反を宛行ったことが見え(同前1-2),文永3年6月9日の僧永乗田地売券には,永乗が「名手御庄西村之内字小田中」内の水田1反を万教房に売り渡したことが見える(同前1-3)。乾元元年12月26日の藤内貞元田地売券には,「名手庄西村内字旁仕坪」内の田200歩を禅聖房に売り渡したことが見え(同前1-5),禅聖は徳治3年5月20日の僧禅聖御影堂陀羅尼田寄進状によって藤内貞元から買得した田200歩を高野山御影堂の陀羅尼田として寄進している(同前1-2)。その後明徳2年の年紀を有する諸供領臈次番付書には,「十一臈……名手庄西村中戸田井百八十歩定田四斗」「三百七十六臈 名手庄西村字牓示坪壱段定田五斗」などと見える(同前1-8)。応永32年5月26日の天野社一切経会段米納日記には,名手荘内5か村の1つとして当村名が見え,米3斗1升を負担している(同前1-4)。永享4年の名手荘大検注において作成された同年3月2日の名手荘西村検注帳によると,惣田数は15町8反280歩で,そのうち上田3町7反10歩・中田4町6反230歩・下田6町5反50歩となっている(勧学院文書/那賀町史)。この検注帳に見える当村内の田地の所在を示す地名としては,「アナ田坪」「岩瀬坪」「小田原坪」「小中田坪」「ヲリウト坪」「カイハナノツホ」「五反田坪」「清水坪」「修行事坪」「杉本坪」「石坪坪」「橘垣内坪」「ツカモト坪」「寺垣内坪」「樋渡坪」「ナシモトノ坪」「ナリ垣内坪」「ハサマ田坪」「坊垣内坪」「堀垣内坪」「道ヨリ坪」「南坪」「無量寿院前坪」「湯屋上坪」などが見える(同前)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7405857