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萩原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。日高郡のうち。和歌山藩領知行所。塩崎五郎左衛門組のち入山組に所属。村高は慶長検地高目録で787石余,ほかに小物成3石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも809石余。なお,延宝6年の大差出帳(日高鑑)によれば村高793石余・反別59町4反余,ほかに新田が高3石余・反別5反余,給人数9,家数98軒・人数399,牛45・馬18,池5。「続風土記」では家数153軒・人数639。神社は若一王子(高家王子)社,槌王子社1,小祠5社。寺院は浄土宗西山派松濤山明秀院安楽寺,浄土真宗西本願寺派陽竜山浄専寺,天台宗五巻山無量寿院法華寺。小名に東光寺・内ノ畑があり,いずれも熊野往還道に沿う集落である。文久3年楠山教順が寺子屋を開き,また中井某も寺子屋を開いていた(日高郡誌)。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数154,男361・女326。同20年126戸・782人。同年の反別は84町余・畑4町余・宅地4町余・山林187町余。明治7年浄専寺内に小学校を開設。同22年東内原村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7405998