柳瀬(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ中山路村,昭和30年からは龍神村の大字。中山路村役場所在地。明治24年には東西32町・南北12町,戸数123,男335・女316。明治22年の大洪水で90戸余が埋没,郵便局・役場・小学校・柳明神社屋などが流失した。同26年上柳瀬に天理教の竜神宣教所を設立(日高郡誌)。同38年安井尋常小学校下柳瀬分教場設置,同41年中山路尋常小学校として地内築根に設置。同44年戸数151・人口876。大正5年御坊【ごぼう】に日高川水力電気会社が設立され,同6年柳瀬水力発電所を起工,同8年出力1,800kwの発電所が完成,各家に電灯がともる(日高郡誌)。発電所建設は筏流しにも大きな影響を及ぼした。上柳瀬堰堤から隧道をくぐり,落筏路(100mに及ぶ急勾配のコンクリート水路)に乗り入れるようになったことから筏流しの難所,檜皮の滝も通る必要がなくなった(竜神村誌編さん室資料)。昭和9年中山路郵便局を字築根に開設。同30年の世帯数203・人口977,面積13.13km[sup]2[/sup](竜神村統計)。同34年民家より出火し,築根で5戸10棟焼失,損害額2,000万円。当地から田辺へ通じる虎ケ峰往来は古くよりつけられていたが難路で,明治11年幅員1尺余の歩道をつけ,人馬の通行が容易になった。昭和2年南部【みなべ】往来に竜神バスが開通したため,その後の道路整備などが長く放置されたが,昭和42年林道が開通し,竜神材の田辺市場化が強まるとともに,田辺経済圏に入るようになる。竜神材の50%は田辺に搬出される(続日高郡誌)。同44年,村の過疎対策の一環としてセーター編み工場が誘致される。従業員13名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7406908 |





