山村(近世)

江戸期~明治22年の村名。那賀郡のうち。和歌山藩領御蔵所。村高は,慶長検地高目録では949石余,ほかに小物成3石9斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに962石余。なお寛政3年の山崎組中要用録写によれば,田畑61町余うち田57町余・畑3町余,村高950石余(岩出町役場所蔵文書)。池水による広い農村地帯。「続風土記」によれば,家数75軒・人数258,西側で上方街道と接し,集落は2か所に分かれる。また坂上田村麻呂の将軍塚と伝える墓地があり,同地に円福寺があったという。神社は当村産土神の産土神社とその末社5社のほか小祠2社,寺院は古義真言宗八王山院西福寺,浄土真宗西派安楽寺,薬師堂がある(続風土記)。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数69,男159・女153。同7年山村落小学校創立,同9年廃校。同22年山崎村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7406915 |





