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穴鴨(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ東竹田村,明治44年竹田村,昭和28年からは三朝【みささ】町の大字。明治24年の戸数69・人口384(徴発物件一覧)。幸山神社は,大正元年の神社統合により幸能鶴神社と改称。地内を通る新道建設は明治25年に終了し,大正11年には穴鴨自動車商会を設立,穴鴨~倉吉間の乗合自動車の営業が開始されたが,昭和9年の大水害で被害を受け営業権を日ノ丸自動車に譲渡した。道路復旧工事は昭和10~12年にかけて行われ,旭村今泉に至る延長8,828mの災害復旧工事は2年間にわたる日時と総工費22万円,延べ人員20万人の労力により,県下復旧工事中の最大工事であった(鳥取新報)。明治20~30年頃にかけて,鳥取の川口紙原社が地内余川谷にミツマタ植栽事業を起こし,余川山の75町歩(実際は100町歩越す)を借入。地内には牛市が大正初年から昭和7,8年頃まで開設され,竹田村内の各牧場から竹田牛が集められ,盛況期には200頭を超したが,飼育牛の減少とともに閉鎖された。昭和4年からは養鱒事業の研究が進み,同31年には竹田村農協が政府の地区振興事業として養鱒場を開設した。世帯数・人口は昭和30年88・432,同40年78・人口332,同50年67・269。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7407212