稲常(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ三保村,明治26年河原村,大正15年からは河原町の大字。明治24年の戸数48・人口237,船8(徴発物件一覧)。大正10年の世帯数33(八頭郡誌)。世帯数・人口は,昭和33年31・172,同45年29・150,同55年29・135。灌漑用溜池は,下松谷。用水は片山橋の上から八東【はつとう】川の水を取水し,山麓に沿って稲常井手(永の堰)がある。稲常橋は木造から一部コンクリートになったのは昭和25年,現在の永久橋は同35年に完成した。同48年圃場整備事業完了。千代川左岸の河川敷は面積1万8,830m[sup]2[/sup]の町民スポーツ広場ができている。同54年の二十世紀梨生産農家数1。同55年県林業試験場を開設。同年の米の出荷量は1,759袋。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7407309 |





