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中郷(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ国府村,明治40年宇倍野村,昭和32年からは国府町の大字。明治24年の戸数54・人口269,水車2(徴発物件一覧)。雨滝街道を結ぶ中郷橋を上流に架け替え,荷車通行道路三代寺宮下線を建造,洪水による橋の流失,道路拡幅改修を重ね昭和33年県道三代寺宮下線に昇格,同37年にさらに上流80mの町屋境に永久橋架橋,護岸改良,一部路線変更も行い重量車両通行可能となり,中河原線経由の定期バス,三代寺線の運行も開始。生活は水田耕作・米麦・菜種のほか明治中期頃から一部養蚕も兼業,蔬菜を栽培して鳥取朝市へ出荷・行商が盛行し第2次大戦後養蚕は廃止した。タバコ栽培も一時行い,蔬菜栽培出荷はハウス栽培とともに継続している。昭和47年より法美平野一帯の県営国府地区圃場整備事業開始。地内で大権寺遺跡(中世庭園)・国庁遺跡が発掘され,付近一帯は風致保存地域となる。出土品に縄文・弥生土器,古代の瓦,石器,仁和2年の題簽【だいせん】その他が確認された。氏神は上神社。白山神社は大正7年国府神社に合祀,宇倍神社境内に奉遷,国府神社と宇倍神社の二重氏子的関係となる。昭和40年代末から県道三代寺宮下線の整備・基盤整備事業が行われ,県道沿いに町農協・自動車農機具センター工場・ライスセンターなどを設置,同54年農協事務所も町屋から移転,田園地帯には農協・企業団地が出現した。明治40年代の氏子数55戸(岩美郡史)。世帯数・人口は昭和35年74・401,同45年67・341,同53年71・311。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7408963