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徳吉村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。高草郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高672石余,「元禄郷村帳」857石余,「天保郷帳」860石余(うち新田高187石余),「元治郷村帳」872石余,「旧高旧領」878石余。元禄の本免は5.1,「元治郷村帳」の物成は390石余。天保3年の藪役銀2匁,山役銀24匁余,川役銀29匁(藩史5)。戸口は,「因幡志」30戸,天保14年には192人,うち男99・女93(県史8)。「文久3年組合帳」36戸。枝郷に鴈津【がんづ】村があったが,享和3年新田村として分村した(藩史5)。かつて古川沿いにあった集落は,大洪水の被害に悩まされ,享保年間に逐次集落を移動したのであろうといわれている(徳吉の歴史)。享保6年から明和6年までの50年間に32回もの水害記録があり,五水記によると享保14年の「とりどし水」の記録があり,当時の水害では最大のものであった。また,水害の影響で,正徳2年から享保元年まで風水害が相次ぎ,農業に与える影響も大きく年貢不足により多数の者が村追放となっている(県史9)。当村の彦次郎は,元禄6・9・10年に大庄屋となった。天保4年,隣村にある山ケ鼻焔硝場出火の際に人夫13人の差し出しが命じられた(県史11)。「因幡志」によれば,隣村へは南の徳尾村へ2町,南東の古海【ふるみ】村へ10町,氏神は松上大明神。また,西の布勢村に通じる道の途中が天馬畷と称され,当村から8町。松上大明神は明治元年松上神社と改称。祭神は国之常立命,境内に稲荷神社がありその祭神は保食神。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治10年の戸数39(徳吉の歴史)。同22年千代水【ちよみ】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7409073