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福井(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ大郷村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数78・人口454,船69(徴発物件一覧)。同25年福井簡易小学校は金沢小学校と合併して大郷尋常小学校となる(鳥取市七十年)。「湖南誌」によると,当地は戸数に比べて耕地が不足していたため,湖山池での漁業は重要な収入源であった。主な漁獲物は鯉・鮒・白魚・糠鰕・鰻・若鷺(地元ではアマサギという)など(鳥取市七十年)。明治40年22町5反5畝を対象に総工費1,566円をかけた耕地整理が地主層の反対を排して進められ,短冊状の田面・排水路・道路の改善が行われ,荷車通行が可能となり用水も十分となって増収が実現した。第2次耕地整理は大正13~14年11町歩を対象に4万3,000円の費用で池端の地上げ工事が行われ,中沢と向沢下部の耕地整理が進んだ。大正の中頃から県下全般に養蚕が盛んとなり,昭和初期地内の養蚕戸数は45戸を数えた。第2次大戦後葉タバコ耕作が普及し,当地では昭和29年から急増し,全盛の同36年には約30軒が葉タバコを耕作した。その後連作による病害発生で葉タバコ耕作者は減少した(湖南誌)。地内に大湯戸・小湯戸・中坪湯田といった地名が続いているが,以前その土地から温泉が湧き出たといういい伝えがある。昭和18年9月の鳥取大地震の際にも佐世尾谷と呼ぶ水田が亀裂し,割れ目から温水が湧出したが間もなく止まった。同36年鳥取市長に対し泉源調査を陳情している(同前)。南北の丘陵に挾まれ湖岸に面した地形のため,隣村との結びつきは不便で,金沢との交通も福井川を約1km上って米子街道(現在は主要地方道鳥取鹿野倉吉線)を迂回しなければならなかった。昭和17年松原・岩本を経て福井に達する湖岸道路が竣工,さらに同23年福井から三津まで通じ,末恒に至る湖岸回りの道路が完成し,山越えの不便は解消した(鳥取市七十年)。昭和26年辛川は鴈津とともに福井から分離し村内行事などは別に行うようになった(湖南誌)。福井の世帯数・人口は,昭和30年64・393,同40年63・329,同50年60・279。辛川の世帯数・人口は,昭和30年19・102,同40年15・72,同50年14・68。同52年湖山町の一部を合併。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7409627