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槇原(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ明治村,昭和28年からは鳥取市の大字。明治24年の戸数73・人口424(徴発物件一覧)。地内に出村の小原があるが,本村の槇原のほうが戸数が少ない。野坂川の谷底にあり,県道河内鳥取線に沿う,山村の小集落である。戸数の変化が少ない。米作のほか林業,自給用の製茶,果樹(柿・梨)の生産がある。この地域周辺を代表する柿としては,甘味の強い平木練【ひらごねり】があり,槇原加藤賢三宅に原木があるといわれる(鳥取市七十年)。河川が近く,背後に山が迫っており,明治26年をはじめたびたび水害に悩まされた。明治30年代に里道の改修が行われ,昭和初年には県道に昇格して更に改修に着手,同31年に完成した。明治14年6月,字土居の下に松上小学を移し,同20年4月槇原小学校と改称し,独立する。同25年8月,槇原の名称を廃し,明治尋常小学校となり,小原に校舎を設ける。小原の小学校は大正12年まで続いた。明治25年西井手完成,一本杉に碑を建てる。同29年,槇原倹約法制定。同37年中山草刈道建設,大正9年中山を開墾する。大洪水は大正元年・同7年・同12年・昭和9年・同12年,同35年(伊勢湾台風)と続く。昭和9年,共同浴場建設,現在に至る。大正7年大日堂修理,昭和9年若桜【わかさ】より弁財天を奉ずる。同12年,氏神味拝神社新築移転。昭和8年の戸数27。小原では,昭和30年11月簡易水道が完成,受益世帯44・人口257。清流を利用したニジマスの養殖が,小原出身の市内加藤紙店主の経営で行われている。槇原では昭和32年,簡易水道が完成,受益世帯28・人口170。近年兼業農家が増加した。昭和35年槇原橋完成。同47年,谷川橋・木ワ谷橋が永久橋となる。世帯数・人口は,昭和30年72・435,同40年67・357,同50年64・279。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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