三江(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ北谷村,昭和28年からは倉吉市の大字。明治24年の戸数75・人口336,水車2(徴発物件一覧)。才ケ崎の島池金蔵は大正3年頃梨栽培を始め,大正14年には梨栽培同業組合を結成,北谷村の梨作りの基礎を築いた。沖積地の南の台地上には広い土地があるのでその水田化を計画し,天神野耕地整理組合に加入し,昭和5年から工事にかかり30ha余の水田造成を成し遂げた。住民の自治活動の面では,昭和34年頃に,三江と才ケ崎を分離して運営することにした。沖積地帯の水田は,昭和48~52年に,久米土地改良区の事業によって圃場整備を完了した。世帯数・人口は,昭和30年98・496,同40年97・433,同50年89・380。昭和30年の農家数は98で,農家1戸当たり耕地88a。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7409908 |





